先日、友人が働いている焼肉店に行ってきた。堺市の御陵通付近にある
焼肉はびろ。
その友人はクリスチャンで、焼肉を食べながら会話をしていた。
友人:『○○は何でクリスチャンになったん?』
そんな質問を受けた。
このような質問をされることが今までにも様々な方からされることがある。
思い起こせば、高校1年生のとき。
アルバイトを始めた際に出会った同僚がきっかけだった。その頃は自分はまだ大阪市内に住んでいた。
知り合って、それなりに仲良くなっていたある時、『教会にいかへん?』と誘われたのがきっかけだった。
当時、教会というと、修道院のような、また陰気な、静かな…そういったイメージを持っていた。
答えはもちろん、『ええわ…。おれは宗教に興味ないねん。』
しかし、親しくなるにつれて、何度か誘われるのち、『教会のイベントになら』ということで行くことにした。その際、聖書の話があるとも聞いていたが、聖書そのものを全く知らない自分は、どういうことが書いてあるのか興味があり、まぁ、話を聞くのもいいだろう。そう思った。
そいでもって、教会に行った。
びっくりした。
普通の建物の中に教会があり、教会内ではドラムはあるわ、ギターはあるわ、果てには来ている人たちは、一見ヤンキーやヤクザさんみたいな人から、普通の感じの人までおり、子どもからお年寄りまで、健常者から身障者まで、さまざまな人がいた。
また、生まれて初めて聖書の話を聞いたのだが、その世界観にも、カルチャーショックを受けたのを覚えている。
なんせ、『神さまがいる』ということを本気で信じているのだから。
いや、それだけなら、ただ単に心の問題で、すがりたいから信じているという風に考えることが出来る。だが、実際はそうではない。
相手:『神さまが地球を創って、そして動植物を創り、人間を創った。おそらく地球が出来てから、1万年は経っていないだろう。』
…続けて、言う…
『最初の人類はアダムとエバ(イブ)で、そこから全世界に人類は増え広がった』
それを聞いたときに自分は、今の言葉でいう
……
……だいぶ痛い人やなぁ
そう思ったのが正直な感想だった。
そして、すべての人は罪を持っており、すべての人は死後に裁かれるが、神は人を愛するが故に、大事な神の御子イエス・キリストをこの世に送り、罪の裁きの身代わりとなって十字架にかかり、死んだのち、3日目によみがえった…
そのような聖書の話を聞いたが、自分の世界観とは非常にかけ離れた話に驚いた。
だって、本気で、真面目に、そうだと信じているんだよ!!マジで!
(…つい関東弁になってしまった。)
教科書に書かれている『250億年前(当時は250億年前と言われていた)に宇宙が出来て、46億年前に地球が出来た』という現代科学を否定して、中世に逆戻りするような思考は到底理解できなかった。
自分は本を読むのが好きだったことから、当時の年齢にしては進化論に関して多少の知識を持っていた。
自分:『あの…。進化論…知っていますか?』と苦笑いで質問した。
すると、
相手:『あれはウソだ。』そう返ってきた。
初めは、この答えに嘲笑していた。
が、意外だったのは、高校生レベルの教科書に書かれている内容の進化論は、実際のところ確証がないものであるということに、驚いた。
反復説、馬の進化、人の進化、化石の証拠、ミラーとユーリの実験…
これらは、進化を支持している人でも、あまり証拠として使わないようなもの。それが教科書に載っているのだ。
そういった中で、聖書の言葉を聞いた。
「神の目に見えない本性、すなわち神の永遠の力と神性は、世界の創造された時からこのかた、被造物によって知られ、はっきりと認められるのであって、彼らに弁明の余地はないのです」
これは、『神は目に見えない』、『自然を見れば神の存在がわかる』ということであるが、
到底、神の存在など信じることができなかったし、信じようとも思わなかった。
そして、この聖書の話をした相手を、言い負かしてやろうと思った。
しかし、一般的に知られている進化論を、相手にぶつけても、相手はそれなりの理論を持っていた。これがまた意外だった。聖書は思っていたよりも理論的だったのだ。
そうしている内に、進化論が正しいのか、聖書が正しいのか、わからなくなった。
というのは、
どちらも、厳密には証明できないことだからである。
進化論にしても、神の創造にしても、どちらも現在この目で進化や創造を見る事ができない。
『進化論』は、
過去に起きた出来事を、化石や地層・その他もろもろの観測的事実から、現在の科学理論に合わせて、進化に基づいて解釈するのであるし、
それと同時に、『神が創造した』ということも、
過去に起きた出来事を、化石や地層・その他もろもろの観測的事実から、現在の科学理論に合わせて、聖書に基づいて解釈するのであるのだから。
結局のところ、自分は、『神を信じない』というよりは、『神を信じたくない』と考えていたことに気づいた。
最終的には、神を信じることにした。クリスチャンになるまでには、1年ほどの期間があった。
現在では、めでたく『痛い人』の仲間入りを果たしている。
…え?クリスチャンでなくとも『痛い人』だって?
余計なお世話だ。
まぁ、焼肉はごっつううまかった。