新年明けましておめでとうございます!
今年も、どうぞよろしくお願いいたします。
--------------------
今日は、森之宮のホールに、過去にTBS連続ドラマ(「ヤンキー母校に帰る」)にもなった義家弘介さんの教育講演会に行ってきました。
今日は、そこで学んだこと、共感できることを挙げていきたいと思います。
義家さんは学生時代をいわゆる「ヤンキー」で過ごし、そこから教師になったそうです。
★簡単にプロフィール。
中学生の頃より「不良」と呼ばれ、高校2年の春、暴力事件を起こし退学。親からも絶縁され、児童相談所を経由し里親の元へ引き取られるが、不登校を受け入れる学校へ編入学後、明治学院大学法学部入学。大学四年の秋、オートバイで交通事故を起こし、内臓破裂で生死をさまようが、意識を取り戻した後は、自らの考え方・生き方を変え、教師になる決心をする。その後、高校教師になり、今は横浜の教育委員会で教育委員に就いている
講演会で、「母や教師にとって育てるとは何か」という話になりました。
義家さんはこのポイントを3つ挙げておられました。
1.聞くプロであること
相手の言っていることをよく聞いてあげることが大事。また言葉にできるならまだマシである。心に耳を傾ける必要がある
2.伝えるプロであること
ありがとう。感謝している。とか、心に思ったことを素直に伝えることが大切
3.学ぶプロであること
子どもに学ぶように勧めるなら、大人はもっと学ばなければならない
当たり前のような事でありつつ、難しいことだよなぁ…と感じた次第です。
聞くプロ、伝えるプロ、学ぶプロ。自分も努力しないとな。
話の中で、印象に残った言葉がありました。
「教育にマニュアルは無い」
です。
本当にそのとおりだと思います。
人間はひとりひとり違う。
当然、生徒もひとりひとり違う。
だからひとりひとりに応じた対応が必要なのだ。
義家さんは、「効率が悪ければ悪いほど良い教育ではないか」とおっしゃっています。
「もし、マニュアルが必要であるなら、ひとりひとりのマニュアルを作らなければならない。なぜならばひとりひとり違うのだから。」
現代の公教育では、40人学級制でかつ、教育費の削減、学校の効率化が進められている中、義家さんのような方ががんばっていって下さればと思います。
最後に、義家さんは、次の文章に文字を入れてください。とおっしゃいました。
「親や教師は子どもたちの_____に責任を持って向き合い続けなければならない」
…
…
…
これと同じ質問を、教職を目指す方々にしたところ、一番支持を得た答えは「人生」だったそうです。
でも義家さんは言います。『「人生」に責任を持てるのか!?もし、人生に責任を持つのであれば、教師は卒業した後も責任を負い続けなければならない。親は子どもが死ぬまで責任を負い続けなければならない。子どもよりも親のほうが長生きできるのか?』と。
義家さんの自論は「成長」だそうです。人生の責任は自分自身にある。
親や教師は成長に責任を持つべきである、と。
じゃあ、「成長に責任を持つ」とは何かというと、
基礎学力がないのに無理に『いい』大学に進学させようとしたり、ダメだダメだといい続けたり、良いよ良いよと甘えさせたりするのではなく、必要なときに必要なだけ、ほめたり叱ったりすることが大事だと。
私個人的にちょっとだけ合致できなかったのが、不登校の子に対して良いよ良いよといい続けてはいけないとおっしゃっていました(義家さんは違う観点から話をしているかもしれませんが)。子どもの将来を考えたとき、良いよ良いよと言われながら過ごして、30歳40歳まで待つのかと。確かに、30歳40歳まで待つわけには行きませんが、私は子どもによっては、それは必要だと思います。
子どもによっては、学校に行きたい気持ちを持ちつつ、行けない子もいます。行けない自分を責めている子もいます。責めて、責めて、をしている子になんて声をかければ良いのでしょう。お前は悪くない、お前はがんばっている、無理をするな、という以外に何を言えるのでしょう。
「将来就職や進学を考えたときに今のままではいけない」ということはその子だってわかっているはずです。良いよ良いよとその子を受け入れつつ、その子が回復する方法を周囲が諦めずに根気よく探っていく(諦めたら30歳40歳なってもひきこもりになりますから)。子どもがその周囲の根気の姿を見たときに子どもは自らやろうとする…その時を待つ。それも大事だと思います。
※確かに、評論家や学者は現実を知らずに何でも「良いよ良いよ」といって、子どもを受け入れろという意見に対しては疑問に思いますが
不登校の要因は実に多様ですから、義家さんがおっしゃったのは広い観点で、私が言っているのはごく狭い、重箱の隅をつつく様な観点であると思いますが(^^;
ただ、義家さんのおっしゃる「一緒にがんばろう」という姿勢はすべてに対して大事だなと感じました。
では、今日はこのへんで~。