先ほど、不登校についてYahooで検索していたら、とある
WEBページにたどり着いたんだけど、読んでて感じたことを書きます。
不登校になる原因って本当にいろいろあるけど、その理由の一つに教師が生徒に抑圧的・権力主義的であることが挙げられるんだよね。
また、とある学習論に関する書籍によると、先進国のなかでもかなり権力的数値が高いと言われている。
様々な話を聞いててすごく感じるのは、罰則や裁きで人を動かす事が多いのが日本の学校な気がする。そしてその感性って実は日本人にかなり根付いているんだよね。
「そんな事したら罰が当たるよ!」っていう言葉は日本人をよく表している。
『間違っているからしない』
ではなくて、
『罰があるからしない』
なんだよ。
「そのような態度なら○○処分します」
とか、「○○を認定できません」とかねー。
あ~やだやだ。
そんなんじゃ自分から、『○○したい』っていう自主性が生まれない。
『罰がなければ何をしても良いってなってしまうのでは?』との見解もあるけど、実はそれって『罰があるからしない』が根付いているからそうなる。
例えば、タバコを吸っている未成年がいたとする。
普通、学校だったら停学か退学だよね~。
でも、停学や退学になったからってタバコやめるかというと止めないと思う。むしろ、『見つからないところで吸おう』となるんだよね。
罰を用いると、余計悪くなることも視野に入れるべき。
でも、『タバコは身体に悪い。成人で吸っている人の大半は吸わなきゃ良かった、やめられないと言っている。』と言ってあげるとしたらどうだろう。
やめる方向に向かうと思う。
実は、『
本当の』聖書によるアイデンティティってこれなんだよね。
【罰があるからやらない】、じゃなくて、
神さまが人間ひとりひとりを愛してくださっている。
自分を愛してくださっている神さまは自分のことを大切に思って下さっている。
だから【自分を傷つける、無駄にする、間違ったようなことは
したくない】となる。
そこには、基本的に人を導く際には、罰や裁きはないんよ。