私は、クリスチャンであるが、その奉仕活動の一環として、毎週日曜日には日曜学校をしている。
日曜学校についてご存知ない方もおられると思うので簡単に説明。。
キリスト教会では、日曜日に教会内や公園などで聖書の紙芝居やゲームなどをしたりすることが多い。
で、その活動の一つとして、教会で「クリスマス子どもフェスティバル」なるもの(模擬店風の小店やイベントなどが内容)の企画を現在進めている。前回同種の企画をしたときは、200人以上の子どもたち&保護者さんが来られ、対応に追われた。
今週土曜日がその開催日。思えば、いろいろ進めないといけないところがあって、心労と、頭が回らなくなってしまいそうなことも多々あるが、何とか、タイムテーブルと構図が固まってきた。
ところで、こういった子ども系の企画をしていると、私は子どもが好きというイメージがつきそうであるが、一時期子ども嫌いになったことがあった。
その理由は、『挫折』である。
もともと、自分は高校生までは子どもが好きであった。その頃の将来の夢は、保育士になって、児童福祉施設で働きたいと考えていた。(保育士でなければ働けないっていう訳ではないがそのほうが職につきやすい)
その夢を実現に近づけるべく、ボランティアで個人的に施設に訪問したことがあった。
訪問するとすぐにたくさんの子どもたちが寄ってきて、抱きついたり、なついたりしてくれた。
当時、そのときは深く考えなかったが、
進路を真剣に考えるようになり、一つの不安が沸いてきた。
「あの施設の子たちは愛に飢えている…。だから抱きついたり…。なついたり…。」
「自分にはあの子たちの愛を常に受け止めることが出来るだろうか…。」
正直、子どもたちのペースに合わして行動し続けることは楽なものではない。
疲れていれば突き放したくなるときだってあるだろう。なのに、ましてや、
愛に飢えている子どもたちとともに中年になっても、高齢になっても、接し続けることなんて出来るだろうか…。
…結論としては無理だと感じた。
その道をあきらめて、進路を決定するころには、社会福祉士を目指すようになっていた。
(その道も、途中で変更することになるのだが。)
いつしか、気が付けば自分は子どもまで嫌いになっていた。
子どもと接するのが面倒くさい。そう思いながら過ごすのだった。
しかし、時間が経てば不思議なのだ。嫌いだった子どもがだんだんと、かわいく見えてくるのだ。
時間が解決することも少なからずあるものだ・・・。
今では、子どもを見るとかわいいと思えるようになった。
「男」なので「母」性本能ではないが、主が備えたのだろう。
さて、今週土曜は子どもたちにクリスマスフェスティバルという企画を提供するが、私、いや私・た・ちが本当に提供したいのは、「福音(=グッドニュース)」である。そしてそのことはかわいい、かわいい子どもが本当の意味で喜ぶことにつながるのである。
今週が山場なので、勢いで乗り切りたいと思う。
補足:【good News】日本語訳は福音。良き知らせ。
何がよき知らせなのかというと、
神の御子・キリストが人々の罪を代わりに受けるために、
十字架に架かって死んだのと、
死後3日目に復活したということを信じるだけで
天国に行けるということ。
ちなみに、
【Christmas(クリスマス)】は
【Christ(キリスト)+mas(祝い)】の意味で、
キリストの誕生を祝うのが本来の起源。
今日も長文になってしまった。。。